「地域創生専門部会」

部会長 :  長崎県立大学経営医学部 教授 矢野生子

副部会長: 久留米大学 名誉教授 大矢野栄次

副部会長: 佐賀市政策審議監 池田 剛

◆「佐賀空港周辺部の経済・社会の在り方についての研究」◆

・現地の状況調査、将来構想の研究

               ・地域創生と国際化の両立を模索する研究

 

 ■地域創生専門部会 2021年度 ご案内

2021/10/11

■「乳母神社と産宮神社-佐賀市富士町・唐津市七山の古代史考察」

乳母(めのと)神社は、佐賀県佐賀市富士町大字下無津呂400番地にある。祀神は大海祇神(おおわたつみのかみ)と玉依姫命である。山幸彦と玉依姫命の子日本磐余彦(かむやまといわれびこ)天皇(神武天皇)の乳母を祀った墓所を乳母神社として祀ったお宮である。傍には神水川(しおいがわ)が流れている。かつては飛鳥川と呼ばれていたらしい。

2021/09/10

「継体天皇・安閑天皇・宣化天皇・欽明天皇・敏達天皇」

■「継体天皇・安閑天皇・宣化天皇・欽明天皇・敏達天皇」 ―倭の五王と蘖王朝の崩壊、そして、肥後王朝の進出―

継体天皇は肥後竹田市の南越の生まれてあり、彼の支配領域は、肥後、特に菊池から熊本にかけての有明海一帯である。以後、安閑天皇・宣化天皇が熊本から八代一帯を支配し、欽明天皇・敏達天皇らの時代に豊後への進出を果たしたことが説明されるのである。

2021/09/10

「用明天皇・推古天皇・聖徳太子」

■「用明天皇・推古天皇・聖徳太子」 ―阿蘇山の肥後・豊前・豊後の王朝―

肥後一帯から豊後・豊前の方に進出した勢力であることが説明される。特に大分市内の亀塚古墳は用明天皇の陵であり、傍に用明天皇を祀る萬弘寺という法隆寺伽藍が残る寺がある。この謎を解くヒントが臼杵の石仏群と真名野長者伝説である。この亀塚古墳の東側の幸崎(神崎)には、築山古墳という聖徳太子と推古天皇を祀る陵があることが説明される。また、両古墳の特徴は鳥葬であることが重要である。

※刊行冊子は事務局在庫分を進呈いたします(会員=送料無料、会員外=送料有)

   事務局へメールかFAXでおたずねください。

【低平地研究会事務局】
Eメール:lora@@lora-saga.jp (@を一つ削除してください)
FAX:0952-28-8712
(〒840-8502 佐賀市本庄町1番地 佐賀大学理工学部内)

 

 ■地域創生専門部会 2020年度 ご案内

2020/10/04

■「垂仁天皇・景行天皇・日本武尊から仲哀天皇・神功皇后の戦い―毛人・蝦夷の侵入とその統合の歴史―」

九州王朝論を背景として、この時代に全国に広がった交易ルートの結果として、東国の蝦夷達との交流の歴史が本格化したことが説明される。この議論もの背景には、「肥前風土記」からの示唆が重要である

2020/09/15

■「神武天皇と欠史八代」-有明海と玄海灘の物語り-」を刊行いたしました。

「神武東征は、宮崎県日向を出発、宇佐、岡垣、吉備、大阪難波を攻め、太陽に向かっ て戦うのはおかしいと、紀伊半島を南に降り熊野から奈良に出て、長髄彦と戦い、八十梟 等を滅ぼしたと説明する。しかし、この700km以上の遠征は兵站の問題等から不可能であ る。
 本当の日向は、福岡市の西日向(ひむか)であり、本当の宇佐は、古有明海の河口一帯で ある。久留米の櫛原とは、「フシハラ」であり、「フジワラ」である。宇佐の宇佐津彦 は、中臣氏(藤原氏)の先祖である。以上の議論を前提として神武東征の真実について議論 する。

 

 ■地域創生専門部会 2019年度 ご案内

2020/03/25

■「経済地理としての古代史‐『古事記』と『日本書紀』から学ぶ‐」を刊行いたしました。

『古事記』・『日本書紀』から学ぶ-」;『古事記』・『日本書紀』の中に有明海の描写がいたる所に登場することを説明している。

■ 「交易の海・有明海」を刊行いたしました。

徐福の時代から遣唐使船の時代、そして、古代のみならず、近世も現代においても、有明海の干満差をもたらす潮の満ち引きが交易の海としての有明海であったことを有明海のツインシティーズから説明できることを解説している。

2019/08/07

■「七夕神社と日本の古代史-玄界灘と有明海を結ぶ舟運の話-」を刊行いたしました。

かつて邪馬台国の卑弥呼の時代や神武天皇の時代、博多湾と古代有明海は鷺田川の大城から豊満川の津古、豊満川の古代有明海の河口であった大崎まで川で繋がっていたことを小郡市大崎の「七夕神社」の位置から説明している。

 

 ■地域創生専門部会 2018年度の活動

2019/03/21 「佐賀県人が知らない佐賀の人」を刊行いたしまし「佐賀県人が知らない佐賀の人」表紙た。